少年時代の大阪物語 両親から教わった兄弟愛
こんにちは、ライフデザイナーのトンチーです。
最初に応援ポチしてくれるとうれしいです。
私の10代のお話をしたいとおもいます。
私は、現在62歳になります。ですから、今から50年以上前の
お話になると思います。
仕事をしていました。
運搬するものは、セメント、ソーダ灰などが、主なものでした。
私は、兄弟と一緒によく夏休み、冬休みになると、船にのって、
山口から、大阪を行き来するのを、いつも愉しみにしていました。
大坂に入港する所は、木津川を入った場所で、荷役をしていました。
私は、父親や、母親に連れられて、岡に上がり、大正区の商店街にいくのが、
いつもの楽しみでした。
父親は、いつも商店街で、タコ焼きとかホルモン焼きを買ってくれた思い出が
いまだに鮮明に覚えています。
当時タコ焼きは、舟の形に8個のって、10円~15円でした。
今は、350円~400円だから、めちゃ安いですね!
又ホルモン焼きをよくアーケード商店街で、販売していました。
においに誘われて、よく買ってもらいました。
鉄板で焼かれた櫛指しのホルモン焼きが、ネギ入りで、1本10~15円
だったと思います。
父親は、私たちが、好きなので、30本以上奮発して買ってくれました。
今考えたら、本当にありがたいと感謝しています。
又当時、バナナは、高級品というイメージがありましたが、父親は、思いきって
3房~4房を段ボール箱に入れて買ってくれた時は、本当にうれしくて
悲鳴があがるほど、舞い上がりました。(ちょっとした至福を感じました。)
あの頃同じ世代の人とくらべるのは、失礼かもしれませんが、本当に両親の
愛を今つよく感じています。
食べ物に飢えていた時代だからこそ食物のありがたさを知れるわけですね。
でも正直当時は、食べる食欲の方が優っていて、そのような貴重なものを
当たり前に与えてくれた両親に感謝という気持ちは、少なかったかと思います。
今こうして月日が経つとあの当時の両親の愛情が、目に染みてありがたく
思うようになりました。
今では、あの世にいって十数年経つ両親ですが、「お父ちゃん、お母ちゃん
私たち兄弟を素直に育ててくれてありがとう」と感謝したいと思います。
おかげさまで、上の姉、下の弟とは、今でも仲良く付き合っています。
これからも私たち兄弟をいつまでも見守ってほしいと思います。