瀬戸内で、元気に生きる私の趣味ブログ

私は、瀬戸内の小さな島に住んでいます。1958年生まれのブログ初心者です。私の興味を持ったことを色々書いていこうと思います。コメント歓迎します。宜しくお願い致します。

いつから3度のめしを取るようになったの?

 
 

 
こんにちは、トンチーです。いつから3度の飯をとるように
 
なったか貴方は、知っていますか?
 
 
最初に応援ぽちお願いします。
 
 
 
現在では、当り前に三度が、常識になっていましたが、大東亜戦争後、
 
全国民は、貧しい辛い生活をよぎなくされたのです。
 
 
今では、ダイエットのためご飯は、2回でいいかな?と思っている私
 
 
ですが、今から、70年以上前は、太っている日本人なんていませんでした。
 
豊な食生活、カロリーの高いものを取っているから戦後の今では、
 
体格も大きくなりました。
 
一般庶民が、誰でもみんな、豊かになり成長していったのですね!
 
アメリカ人に負けてアメリカ人の食生活に移行するようにしたのは、アメリカ人の
 
戦略です。そうすれば、どうなりますか?アメリカ人から、物を買うように
 
なりませんか?教育も文化も以前の日本の良き習慣、歴史まで、完全に否定されて
 
アメリカ文化の真似をするようにしむけられたのです。したたかでしょ!
 
 
では、本題に戻ります。
 
そもそも一日の食事は、2回という習慣がありました。
 
しかし、ある事がきっかけで、庶民の間で、3度の食事の習慣化するようになります。
 
さて、あなたは、何だと思いますか?
 
江戸時代まで、さかのぼります。理由は、2つ考えられます。
 
 
大火
 
 
まず一つ目ですが、江戸時代・元禄期(1688~1704年)以降だという事
 
それまでは、2食が、普通でしたが、食事の回数が、増えた理由と考えられる
 
のが、明暦の大火の後、町の復興をするため各地から、大工、左官屋などの職人が
 
集まってきたことで、食を取る事情が、変化したようです。
 
肉体労働者ですから、一日2食では、とてもお腹が、もちません。
 
江戸のあちこちで、屋台や飯屋が、できるようになり外食産業が栄えました。
 
 
菜種油
 
 
 
二つ目に考えられるのが菜種油が、普及したことです。
 
物流が、よくなったおかげで、照明用の菜種油が、広く売れるようになり
 
起きている時間が、長くなったというのも1日3食になった理由だといわれています。
 
それまでの庶民は、夕暮れと共に寝床に入るという習慣がありました。
 
菜種油一升で、米が二升買えるといわれていたので、庶民には、花でした。
 
しかし、菜種油の値段が下がり、庶民にも買えるようになると
 
寝る時間も遅くなり、一日の労働時間が、増えて来るので、朝・昼・晩と3食