北海道が、生んだスーパースター 松山千春について語ります。
こんにちは、トンチーです。
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私は、昔から、歌が好きで、小学生の頃から口ずさんで歌っていました。
当時は、叔父さんの影響で、演歌をよく聞いていましたね!
中学生になり、フォークの時代、スター誕生で歌手デビューした人が、私と
同じ世代なので、かなり影響されましたね!
ごめんなさい。脱線してしまいました。では、本題に戻ります。
松山千春のプロフィール
1955年12月16日生まれ(63歳)
北海道 足寄町
身長 170センチ
体重 55キロ
血液型 0型
足寄高校では、卒業時首席、成績優秀でしたが、家計が苦しく
大学進学を断念しました。
1975年全国フォーク音楽祭の北海道大会に出場するも落選
1976年STVラジオの竹田健二ディレクターに見いだされて、
歌手の道を歩む。しかしその竹田さんが、急性心不全で、36歳で急逝
かなりのショックでしたが、いまでも歌手になるきっかけをつくってくれた
竹田さんには、感謝を忘れていませんね。
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本当に歌は、上手いですね。飾らないぶっきらぼうな話し方は、当初は、
生意気な奴だなと思いましたが、自分に正直な面がわかり、私も自分に
正直に生きたいと思いましたね。歌がいいので、本当に好きになりましたね。
北海道をこよなく愛する千春さん、「市民のために今自分ができる事は、何か?」
を考えられて色々な所にでかけて、社会貢献されていますね。
わたしの見習わなければならないところです。
何度も愛媛県にこられているのですが、残念ながら、まだ、一度もコンサートに
行った事がないので是非実現させたいと思います。
1978年の「季節の中で」が、ヒット曲になりましたが、一番最初の曲は、
1977年の「旅立ち」です。その後、「かざぐるま」「時のいたずら」
「青春」とつづきあのヒット曲につながったのです。
歌手のきっかけを作ってくれた竹田さんの話になると普段と違う
千春の涙ぐむ素顔が見れたのは、意外でした。